サンエイ新書 経済戦争としての本能寺の変
三栄 / 2020年11月24日 / 全213ページ
光秀・信長──「人」「カネ」「土地」の真実
目次
- 著者略歴
- はじめに
- 目次
- 第1章 光秀という男の素顔
- 信長よりかなり年上だった光秀
- 医者で鉄砲の名手
- 信長にヘッドハンティングされる
- 比叡山延暦寺の焼き討ちで大出世
- 日本経済を支配していた延暦寺
- 将軍義昭を見限った理由は所領の多寡!?
- 短期間で織田家の重臣となれたのはなぜか
- 第2章 信長が秀吉を取り立てた本当の理由
- 秀吉が西国攻めの軍指揮官に大抜擢される
- 信長に取り入る秀吉の目論見
- 武家社会が抱えていた切実な経済問題
- 秀吉大抜擢に反発した荒木村重
- 信長の所領集中政策1「息子を養子に出して有力武家を乗っ取る」
- 信長の所領集中政策2「息子に戦功を挙げさせ、織田家の領地を増やす」
- 信長の所領集中政策3「重臣を追放して所領を取り上げる」
- 第3章 信長の社会経済改革
- 著者略歴
- はじめに
- 目次
- 第1章 光秀という男の素顔
- 信長よりかなり年上だった光秀
- 医者で鉄砲の名手
- 信長にヘッドハンティングされる
- 比叡山延暦寺の焼き討ちで大出世
- 日本経済を支配していた延暦寺
- 将軍義昭を見限った理由は所領の多寡!?
- 短期間で織田家の重臣となれたのはなぜか
- 第2章 信長が秀吉を取り立てた本当の理由
- 秀吉が西国攻めの軍指揮官に大抜擢される
- 信長に取り入る秀吉の目論見
- 武家社会が抱えていた切実な経済問題
- 秀吉大抜擢に反発した荒木村重
- 信長の所領集中政策1「息子を養子に出して有力武家を乗っ取る」
- 信長の所領集中政策2「息子に戦功を挙げさせ、織田家の領地を増やす」
- 信長の所領集中政策3「重臣を追放して所領を取り上げる」
- 第3章 信長の社会経済改革
- 矛盾だらけだった戦国時代の政治経済
- 荘園の不法占拠が「武士」の起源
- じつは軍事力も弱かった武家政権
- 室町幕府の財政力のなさが「応仁の乱」を招いた
- 武家社会の矛盾に苦しむ人々
- 本気で社会経済改革をおこなおうとした信長
- 信長が領内でおこなった税制改革
- 大掛かりな検地と城の廃棄
- 検地の総責任者だった光秀
- 先進的だった「明智軍法」
- 第4章 光秀を不安にさせた「近江の所領問題」
- 織田家一門の領地を近畿や尾張に集中
- 信長が近江を本拠地にしようとした意図
- 交通の要衝だった近江
- 近江は戦略上の拠点でもあった
- 光秀に与えられた滋賀郡は近江の中心
- 信長はなぜ、重要な滋賀郡を光秀に与えたのか
- 光秀の坂本城は、日本屈指の名城
- 晩年の信長の近江統治計画
- 立ち退き物件だった光秀の坂本城
- 第5章 「朝廷の世」に戻そうとしていた信長
- 武家社会を終わらせ、朝廷の世に戻す
- 「兵農分離」すなわち「中央集権」
- 城下に居住していた織田家の家臣たち
- 中央集権の象徴だった信長の居城
- 「征夷大将軍」ではなく「太政大臣」を拝命した信長
- 朝廷復古のために支援し続けた信長
- 「平清盛の末裔」を自称した信長の真意
- 「国替え」によって武家と土地のつながりを絶とうとした信長
- 「本能寺の変」の前触れだった荒木村重の叛乱
- 第6章 経済視点から見た「本能寺の変」
- 葛藤の極致にあった光秀
- お市の方と柴田勝家の関係
- 光秀の妹「妻木」の死去
- 信長の正室「濃姫」と「妻木」は同一人物!?
- 四国征伐問題
- 光秀に「国替え」の命令が下る
- 光秀のプライド
- 京都の防御を知り尽くしていた光秀
- 信長の油断をつく
- 光秀の誤算
- 死んでも「光秀の天下」を許さなかった信長の反撃
- サンエイ新書既刊
- 奥付
- 裏表紙
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